Archive für 27.11.2008

DDD

本日発売のDDD1月号に12月の「HEREing Loss」公演Previewが掲載されています。

今毎日ひきこもり状態で12月公演の音づくりに取り組む日々です。

昨日、作品にもテキストを提供してくれた隣人の作家のダニーと話していて話題に登ったのが、多和田葉子さんがおっしゃっていた、日本語とドイツ語での「読む」という作業の違い。ドイツではHörspiel といって、いわゆる朗読CDがとてもメジャー。本を読むかわりに朗読CDを聴く人がとても多く、作家による朗読会もとても盛んです。そのポピュラー度は日本のそれとは比較になりません。この差はなんだろう、という疑問に答えをみつけてくれたのが多和田さん、「ドイツ語は読む時に自分の内側でも朗読しているが、日本語で読む時には視覚的に意味をとらえていて、頭のなかで発音はされない。だからドイツ人にとっては朗読というのはごく自然の事」、、、すみません、うろ覚えで書いているので本人の言葉とは違うと思います。でも、確かにそうなんです!

日本語は子供の時に習う段階で、とめ、はね、はらい、から始まる呼吸を身につけ、視覚的な美しさと意味が結びついている漢字を学習します。「空気を読む」という感性はこの段階からすでに培われているのかも知れません。そしてドイツ語は、というと、アルファベットはひらがなと違い、組み合わせで発音が確定されるので、例えば子供が一人で絵本を読めるようになるまでは日本語よりも時間がかかります。日本語なら、ひらがなを読めればすぐに子供用の本は読めますが、ドイツ語はアルファベットそれぞれを読めても、単語のなかでの発音は別物なので、その規則を学ばないといけません。そのため、親が子供に読み聞かせをする期間もおそらく長いのではないかと思います。言葉を書く練習も、まずは耳にした発音から自分でアルファベットの組み合わせを想定し、それを直してもらったりしています。なので、「きく」という作業はドイツ語においてはかなり大きな位置を占めています。ひょっとしてドイツ人の頭の中には日本人よりもよっぽど多くの言葉が鳴り響いているのかもしれないし、日本人の頭の中にはドイツ人よりよっぽど多くの情景が描かれているのかもしれない。”醜”という文字にも美しい書体を必要とする漢字の持つ威力は確かにあるはず。

だから踊りに置いても、日本人は絵的な動きや呼吸から意味を感じとるのに対して、ドイツ人は角度や組み合わせ、言葉が自然に必要となって来るのかなー、と思ったり。

で、私もそんなドイツ語を話すようになったので、私のなかで「きく」という役割が大きく変化してきて、この作品へと流れついたというわけか?!と、ちょっといまごろ再発見いや、”再発聞”した気分です。

ヘブライ語ではどうなのか、ヤエルに聞いてみなければ!

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