Archive für Dezember 2008

掲載情報

16日発売のSPA!に公演情報を取り上げて頂きました。

しかし私、自分の公演の初日を10日後に控えているというのに、今日と明日イタリアのパルマで踊っています。 今年のベネチアビエンナーレで上演された“CREATURA”の再演です。自分のシーンは振付家のミケーラとのデュオとソロで約15分に集中しているのですが、自分の作品の作業を進め、日本の皆さんと、ベルリンのヤエルや衣装のトアスとコミュニケーションをとりつつ、夜に本番という状態はちょっと気違い沙汰。時期的に不可能!と言ったものの、とても大事な公演なのでどうしても、と言われ、それぞれの公演がいかに真剣勝負かを身を以て知る身としては、大切な友人だけにNOと言い切れず引き受けてしまった、、、自業自得!!

だけど今日満員の初日を迎え、出番までスタンバイしている間にふと周りを見渡した。真夏のケニアから来た、孤児院育ちでアクロバットパフォーマーとして活躍する、まだ20歳そこそこのシュテファンとベン、ネイティブアメリカンの血が流れるミケーラのお父さん、カンパニーの個性的なイタリア人メンバー、日本からなぜかココに流れ着いてる私、そしてパルマのお客さん。もの凄く腑に落ちた。離れた世界から集まった、それぞれ全く違うカラダが、その本人でなければ語れない事を語り、互いにとても素朴なコミュニケーションをしている。そしてお客さんは世界がどれだけ互いにかけ離れているか、それでも素朴な部分でどれだけ近づくことが可能で、しかしやはりカラダは個体であることに気づく。それはとても哀しくて美しい事なんだと、私も再発見した夜。自分の中に無い音色を奏でるカラダたちは、世界にまだ居場所が沢山あるような気分にさせてくれた。そしてそれを日本に行く前に感じておくのは、とても大事なんだと思う。

「毎日踊る大切さは忘れていないけど、男として、女として日々成長して行く事なしに、踊りで一体何を語るのか」と言い切るミケーラ。
彼らのカラダのエコーを背負って、横浜に行きます。

P.S. こんなですが、もちろん公演準備は万端?です!日本の方でも、素晴らしいチームワークで着々と準備が進められています。今回興味を持って関わってくれている若者達のしなやかぶりにもびっくり。ベルリンで行われた内輪での試演会もとても面白いものになり、衣装もさすがBUTTERFLYSOULFIREです(嬉)。ここでお見せしたいけど、鮮度を保つためマル秘。みなさんにお会いするのを、ヤエルと共に心から楽しみにしています!

!!HEREing Loss - 私の孵る場所 - お客様へ重要なお知らせ!!

HEREing Loss - 私の孵る場所 -

*お客様へ開場・開演時間に関しての重要なお知らせです!*

チケット受付は各回開演の1時間前に開始致します。
普通席のお客様には、ご来場順に整理券が発行され、開演直前に客席へ誘導させて頂く形となります。
寝台席のお客様は、開演時間10分前よりご来場順に2回に分けて(約10名ずつ)会場への誘導となります。
なおロビーにはお待ち頂けるスペースをご用意してあります。

また開演時間に遅れてお越しになられた寝台席のお客様は、演出の都合上、
大変恐縮ながら普通席へ振替えとなってしまいますので(差額の返金は致しかねます。)、
どうぞお時間に余裕を持ってご来場下さいませ。

何か不明な点がありましたら、ご遠慮なくhere@mendora.comまでご質問をお寄せ下さい。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

!!重要なお知らせ!!

HEREing Loss 公演予約ページがサーバーメンテナンスのために12月15日AM5:00
までアクセス不可能になっております。

大変申し訳ありませんが、その間の予約は赤レンガ倉庫045-211-1515もしくはチケットぴあ0570 02 9999(Pコード389-644)よりお願いもうしあげます。ご迷惑をおかけして大変恐縮です!!

お問い合わせはhere@mendora.comもしくは 070 6562 8926まで。

川口ゆい

ここ2

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横浜公演のために日本の皆さんとskypeで打ち合わせをしてみたり。
skypeは簡単に傍聴できてしまうので、 プライベートや機密?事項の話では避けていますが、この便利さが万人のものなのは凄い。

こちらでは朝日を浴びながら一日の始まりとして、あちらでは長い一日の 終わりとしてお互いに会話をしているのは、何だかとてもアブストラクト。コミュニケーションが肉体的な時間感覚を無視して進んでいくと、カラダがまだここにいるのが悪い冗談に思えたり。
私にとって朝と夜のカラダはかなり違います。夜中に一生懸命、しかも盛り上がった気分で書いた文章や作った音を、翌朝になって読んだり聴いたりしてみるとただこっぱずかしいだけだったり。

ちなみに先日の言葉の話、ヤエルに聞いてみた所、彼女の頭では読書中も言葉が鳴っているそう。ちなみに、にほんごでもひらがなやカタカナをたようしているぶんしょうは 、アタマのなかでろうどくしていることにきがつきました。ところで、私がヤエルの書いたヘブライ語の文章を読もうとすると、なぜかいつも紙を上下ひっくり返してしまう。どうやら、ヘブライ語は右から左にかかれ、下から上へはらう文字があったりするためらしい。日本人の生理として、左から右、上から下への流れが染み付いているんですね。それが関係あるのかないのか、ヤエルと踊っていると、お互いのカラダの流れが全然違うことに気づく。私なら流す所で彼女は上がるし、私がくぐりたい所で彼女はかぶせてきたり。だから二人で同じ振付けを踊っても、「似ている何か」という感じになって、ぴったりとくっついた双子にはなりえない(笑)

そんな私たちの接点と狭間の間に垣間見えるものが、ヒトの世の小さな謎の一部の気がします。

ここ

離れている、ということはある部分心の支えで、ある部分では不安の種。
それは信頼というより信仰、に似ているのかもしれない。
見えない神様を時に都合良く自分の中に感じて励みにしたり、見えない事で不安になったり。
不安だと約束ごとを増やしたくなったり、言葉にこだわったりする。
だけど、みえないけれど確かにそこにある、と思い込んでいると、実際はもうとっくに空っぽだったり。

自分が殆ど無意識にしていることも、どこかに点を落として、エコーを残していたりする。そしてそれが思わぬ時になって、自分に再び届いて来て驚かされる。自分はもうとっくにそこから遠ざかっているのに、まだ響きは残っていて、別の形の波となって今の私に当たる。ああ、これが時を重ねるという事なのかも、とカラダが呟く。

距離を感じ続けるのはとても大切だと思う。選択の段階で置き去りにしていったものから、今どれだけ離れてるんだろう。それとも案外また近くに戻ってるのかも。どうして、あの瞬間に、そうする事を選んだのか。そして、その時にみた点に対して、私は今どこにいる?

とりあえず皮膚にパッキングされてまとまっている身体を保つための作業を続ける。
日常に溢れる無限の小さな決断が、現在を形づけては壊していく。
次の瞬間に誰が何をするかなんて分からない。自分さえも。